畳の歴史

古事記の時代

~そこより入り幸でまして、走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、-中略- 海に入りたまはむとする時に、菅畳八重・皮畳八重・絹畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。~ 

これは「古事記」に畳という文字が登場する場面の一部です。 今でいう畳とは、数センチの畳床がありその上に畳表を被せ縁がついたものですが、古事記の時代の畳とは一般的な敷き物の総称で筵(むしろ)や菰(こも)のようなものであったらしいです。 使わないときには畳むことができるのが、「畳」と呼ばれる語源であると言われています。八重とは幾重にも重ねることを意味して、「菅や皮、絹の敷物を何重にも波の上に重ねて敷いて」いる様子です。

※古事記:日本の歴史書物の中で最も古く、712年に編纂された。

奈良の大仏の頃

奈良東大寺の正倉院には、聖武天皇(701年-756年:在位724年-749年)が使ったとされる「御床畳(ごしょうたたみ)」が残されています。これは今で言う畳ベッドでしょうか。 ひのきでできた木枠にすのこを渡し、その上に幾重にも筵(むしろ)が敷かれたものでした。 

紫式部の頃

平安時代(794年から)になると、歴史的な絵巻物にも見られるように、寝殿造をした屋敷の板敷に畳が部分的に置かれています。 今風でいう置き畳でしょうか。 それまでの筵のような敷物から、厚みのついた今の畳に似通った形状になってきます。

武家文化から茶道の始まりの頃

時代はめぐって鎌倉以降から室町時代になると書院造の建築物の普及とともに、部屋全体に畳が敷かれるようになりました。また茶道の発達とともに畳の役割も大きくなってきたのです。

戦国の頃

1579年に完成した織田信長による安土城では「畳は備後表に高麗縁」として、現在の広島県福山市で生産された畳表が重用され、今でも備後表は生産者は限られていますが、高級畳表として用いられています。

江戸時代から畳は一般に広がっていきました

江戸時代の中期以降、一般の町民にも畳が大いに普及してきましたが、農村地域にまで普及するのは明治時代以降です。

その歴史の中で、畳の形状やその使い方、また縁の模様や縁の有り無し、畳表の材料(イ草や七島藺など)が移り変わってきています。こうしてみますと、昔からいろんな場所で形で使われている畳であるからこそ、現代でも畳はいろんな形で使われているのだなと納得いきます。